DVとADHD ④

暴力の理由は、大概

料理がまずい!

品数が少ない!

部屋の整理整頓しろ!

掃除しろ!


ゲンコツで顔を殴られて頬から口にかけて大きく腫れて痛くて悔しくて大泣きした。


ドラマだと家を飛び出して実家に帰るところだけど、泣き寝入りして翌日も仕事を休まず出勤した。

その日は大事な昇格試験の日だったから。

会社の人には虫歯が腫れてしまったと言って言葉を濁した。



一度、仲人さんに電話して相談したことがある。

元夫の縁で知り合い、私とは接点がない夫婦だから電話し易く感じたのかもしれない。

暴力を振るわれて困っている事を伝えると

「今朝は朝食食べたの?何も会話なかったの?今は?」


暴力振るわれた翌朝は私は朝食は作らなかった。

作る気にならないし自分自身も食欲がなかったから。

そこから説明する気になれず、適当に電話を終わらせた。


友人や親に相談しようとは思わなかった。

惨めだし、どこから話を始めたら良いかわからなかった。


元夫は、暴力振るった後もいびきをかいて爆睡出来る人間だった。


そして暴力振るった翌日は必ず外泊するようになった。

もちろん連絡なし、翌々日は帰って来るが、暴力行為を含め、一切謝ることがなかった。


私が反撃しないし、抗議しないし、時間が経てば機嫌が直るくらいに思っていたようだ。

DVとADHD ②

実家には白黒の小さなTVと大きなカラーTVがあった。


祖父と父がチャンネル権を握っており「子供番組が見たい!」「駄目だ!」の押し問答で、私が泣き叫び、ゲンコツやビンタされる。そして外に引きづり出される、の繰り返しだった。


野球、相撲、プロレス等のいづれかをいつも見ていて私は、今でもこれらが嫌いだ。


体罰の繰り返しで反抗的になり、祖父からの体罰が段々エスカレートしていき、真冬にトイレに逃げ込むとバケツに水を組んで戸の隙間から浴びせられたこともある。


父からアルミ製(多分)のお盆が変形するほど思い切りお尻を叩かれたこともある。


何がきっかけか思い出せないが祖父が包丁を片手に私の身体に馬乗りになり今にも刺そうとした出来事があった。その時は流石に私の母が金切り声を上げて止めたので何事もなかった。


母からの体罰は、思い切り怒鳴られること。身体が痛くなくとも、とても強烈で私の身体の中にいつもこだましていた。



そして私は自己肯定感がどんどん低くなり自分に自信が持てない人になっていったと思う。




だから、元夫に暴力の限りを尽くされても親に泣きつく事が出来なかった。

DVとADHD

大人になり、「片付けられない女」という本に出会い、自分が当てはまることに気が付いた。


ADHDと言う言葉も私が小さい頃はなく、後から幼少の頃を振り返り「あー」あの出来事、この出来事、と思い当たる節が沢山、思い出された。


親に「あんたはすぐストッキングを引っ掛けて穴をあけてくるけど○○ちゃんは一度も穴あけたことないみたいよ!」と怒られたこと。


一年生の冬のある日の帰り、皆で中庭の池の薄氷に触って遊んでいて一人だけドボンと池に落ちたこと。 


幸いそれ程深い池ではなく自力で這い上がって出たところに池の水音で駆け付けた校長先生と保健室へ。


そして、休み時間後にプールサイドでうがいをする習慣があり皆でそれぞれ散らばりうがいをしていて小プールにドボンと…。


知的な遅れはなかったが手先が不器用で、作業が異常に遅かった。


中学生になると出来る教科と出来ない教科の差が大き過ぎて志望高校は無理だと言われた。出来ない教科は美術、家庭科で時間内に作品を仕上げることがいつも出来なかったのだ。