DVとADHD ⑱

転居先では、仕事はそれなりに大変だったが元夫さえ居なければ平和で楽しい時間が沢山あった。

親しいママ友達親子で集まり食事会やバーベキュー、キャンプ等の思い出を沢山作ることが出来た。


しかし何よりも、心許せる仲間同士で何でも話し合うことが出来たのが嬉しかった。


あの頃の友達は何にも代え難い大切な宝で、今でも心から感謝の念と共に思い出している。


コロナが終息したら是非とも会いに行きたい。

DVとADHD ⑰

引っ越しに伴い、仕事も転居先で続けることが出来、娘の学童保育で嬉しいことに親しいママ友を作ることが出来た。


義母とは同居しなかったが車で1時間程だったので、たまに行くことがあった。


元夫は、自分の実家に行くと洗濯機を回して自分や義母の服を洗おうとしたり、親戚が集まると大抵出前を取るのだが、台所に立ちおつまみを作ってみたりと、やたらに動き回る。


そして義母に

「何もしないのね~」

と嫌味を言われたものだ。

私は、ほんとに何もしないわけでもなく、片付けや洗い物もしていた。

食事の支度も手伝おうとすると

「狭い台所だから座っていていいよ。」

と言われた。


元夫は親子3人の生活だと自分の洗濯以外何もしないのに。

最初は自分のワイシャツを週末にアイロン掛けする姿も見られた。

独身時代からずっとそうしてきたのだろう。


しかし、いつからかアイロン掛けが嫌になったらしくワイシャツを全てクリーニングに出すようになり、出して受け取りまで私に押し付けるようになった。



転居しても相変わらず育児には関わらず小学校の行事に参加することは全くなかった。

DVとADHD ⑯

それから数年後、私の父が癌になり入院した。


母が寝泊まりして付き添いしていたが毎週末のように付き添いを交替する為に土曜日の朝一番の新幹線に乗り日曜日に戻るという生活が何ヶ月か続いた。


幸い、手術が成功しその後の抗がん剤治療も効いて退院出来た。



そんな矢先、元夫に転勤の話が持ち上がり、転勤先に一緒に行くか、離婚するかと提案してきた。


何故か物凄く強気で、育児など殆どしてない癖に娘は渡さないと言い張った。


転勤先は、元夫の実家のある北海道だった。


私がいなくても義母がいるから面倒をみてもらえるという算段だった。


離婚は何度となく考えてはいたが、自分の両親の状況を考えると親にはとても言い出せなかった。


この頃の暴力は怒りに任せて、私の髪の毛を掴み、部屋中を引き釣り回され、私に馬乗りになり大事なネックレスを引き千切られ、ブラウスを引き裂かれ、狂ったように頭を床に叩きつけるというものだった。


それでも、癌と闘病している親には言えないと思って、離婚は先送りする道を選んだ。