DVとADHD ⑥

そんなある日、私はストレスで切迫流産になり入院することになった。


受診してそのまま入院と言われて、会社と元夫に連絡したが、必要なものを買い揃えて駆け付けてくれたのは職場の上司だった。


1週間の入院中に元夫が来たのは1.2回でもちろん退院の迎えもなかった。

しばらく安静が必要だったので地方から私の母が駆け付けてくれたのでしばらくは家事から開放された。


退院後もしばらくすると、暴力が再開した。


そして切迫早産にもなった。


入院した夜、今までに感じたことがない激しさでお腹の中の子がお腹を蹴り暴れ回っていた?或いは苦しがっていたのか?とにかく気が遠くなるような苦しみだった。


早産しないように手術が必要で、その為に家族のサインが必要だった。

元夫は地方に旅行中で渋々私の入院2日目に戻って来た。


産休に入ると同時に私は実家に帰省した。

実家に帰りしばらくすると、呆れた理由で元夫から連絡が来た。

DVとADHD ⑤

独身の頃、料理に自信がなかったのでベターホームの料理教室に何年間か通っていた。

何年間というと凄いが月に一度の教室だった。

なので結婚後も数年間は味噌汁だけは昆布やカツオ節から出汁をとり作っていた。

作業が遅く応用力がないので料理のレパートリーは中々というか全然増えなかった…


それでも料理の本を買ってきては、数時間かけて作っていた。




妊娠してからも暴力は続いていた。


元夫は、確信犯だった。


警察沙汰になるような例えば、骨折や捻挫させるような暴力にならないように加減していた。


何故なら自分でこう語っていた事があるからだ。


「警察沙汰になって自分の人生を棒に振るような馬鹿はしない」

と薄ら笑いを浮かべて言っていたのだ!



仕事していたので毎日足が棒のように痛かったが、ただの一度も労りの言動が見られず、それどころかソファーに座っていると

「俺がソファーの上を片付けたのに何でオマエが座るんだ!」

と思い切りふくらはぎを蹴られた。


日により、背中を蹴られた。お腹以外なら平気だと考えていたようだ。


私は、精神衛生に努めようと常にクラシック音楽を聴き気を紛らわす毎日だった。

DVとADHD ③

元夫と結婚する前に、結婚後の家事分担について話し合いしたことがある。ほぼ一方的な言い分だったけど。



家事を分担するなら共働きなのだから生活費は折半だ!


俺が出来る家事は、ゴミ出し、自分の服の洗濯、週末の風呂掃除だ!


更に、

会社の仲間達と3~4ヶ月に一度、(俺は)旅行に行くぞ!

と。



どうしてこの時点で妥協してしまったのかと後々悔やみました…



結婚前に一度、平手で頬を叩かれたことがあったが、理由は思い出せない。口論していて興奮したのだろう。


この時は、初めての暴力だったこともあり、ハッとした表情になりすぐ謝ってきたので私も謝罪を受け入れた。


しかし、結婚後は何かにつけてすぐ怒り出しゲンコツで殴る、蹴るとどんどんエスカレートしていった…