DVとADHD ⑮

保育園に預けるようになってから、色々な風邪が流行ると必ず母子でうつってしまい、寝込むこともあった。


そんな時に

「今日は、夕飯作れない。」

と言うと、元夫の開口一番の言葉は

「俺の食事はどうなるんだ?」

だった。


私や娘の体調も食事も全く心配されたことはなかった。



たまに元夫の友人宅に家族ぐるみで遊びに行くことがあり、溜まりに溜まったストレスを友人夫婦に洗い浚いこんなことがあった、あんなことがあったと吐き出したことがある。


その友人は

「オマエは口達者な癖に手も出すのか?!」

と窘めてくれたが、その場限りで元夫の言動が改まることも謝ることも一切皆無だった。

DVとADHD ⑭

マンションに引っ越してから車も無いのに、元夫は「いつか車が欲しいから」と言って駐車場を申し込みしていて駐車場代をしばらく払い続けていた…

余裕もないのに、凄い無駄遣いだった。


引っ越してしばらくは私は都内への通勤をしていたが、時間のやり繰り、睡眠時間の確保等考えて転職し、車が必要な職場になった。


転職前に実家の父が車を買い換えるからと今まで乗っていた車を譲ってくれていた。


車が有ると元夫は何かに付けて、

「今日は雨だから駅まで送っていけ!」

「終電の中で寝過ごしたから終点の駅まで迎えに来い!」

と私や娘の事情も考えず無理な要求を繰り返していた。


雨の日は娘も私もレインコートやレインポンチョを来て自転車で保育園に行き、駅から電車通勤していたのに、元夫を車で駅まで送ると車を一旦置きに帰宅してそれから出かけなくてはならなかった。



夜中に鳴る電話で叩き起こされ、乳幼児の娘を起こさないように家を出て道路マップの本を見ながら知らない駅まで夜道を走るのも心細かった。


駅に辿り着き、駅の地下通路を歩き廻りどこの出口にいるのかと電話をかけると

「待ちきれなくてタクシーで帰った」

と…

帰宅すると元夫は既にイビキをかいて寝ていたなんてこともあった。


家事、育児に関わらないので母子家庭同然だったが、元夫の存在が、その言動が、迷惑そのもの以外の何物でもなかった。



保育園の参観日は勿論、運動会にも一度も参加したことがなかった。

週末は競馬に出かけるか、二日酔いで爆睡しているかのいずれかだったから。


元夫が会社の仲間と海外旅行に行き、帰って来た時、娘が人見知りして大泣きしたことも印象的な思い出だ。







今日から全国旅行支援開始だそうですね。

どこかに行きたいな~。

DVとADHD ⑬

マンションに引っ越してから、元夫は週末は競馬に行く代わりに次から次へと同僚や部下を招待ばかりしていた。


そのうち、平日の遅い時間(22時~)にまで友達や部下を連れて来て泊めるようになった。


そういう時は食事が済んでからのようなので、もてなす必要はなかったが乳幼児がいて共働きの家庭に平日の遅い時間に泊まりに来る神経がわからなかった。


勿論、連れて来る方も問題だが。


そういう時は、抗議の意思表示として子どもと寝た振りをして部屋から出なかったし、翌朝も来訪者が帰るまで部屋で息を潜めていた。


元夫は、体裁を保つ為、第三者がいる時は決して暴力を振るわなかった。